2003年3月9日

 詩 人

榎本 初によるのページです



   ひかりの花

 太陽の接吻くちづけを何処かに落としてきてしまった。
 まわる空が包んでいたのは、まだ蕾すら結ばない、ただ煤けたように見せながら、ひかりに枝垂れていた櫻。中古の軽自動車を降りた男は、雑草ばかりの堤が空へ伸びていくのを追って両腕を突き上げていく、指の先まで。土は凩の口笛を綴じていて、乾いている。川は小石の体温を一粒一粒呟きつつ季節を繙いていき、揺らめく。揺らめくのは時の揺らぎを解していくからで、真水の息遣いが途絶えることはない。
 まだ遠い、指先で形をなぞることのできない花は、男の、薄茶色のワイシャツの、胸のポケットの中で仄かに紅い。銀河に滲み出ていても好い。風が静かに酔い、土の芳るのを待つふりをして、ダンス。樹の肌へ頬を寄せて、幹の奥に、祈りの庭に見つけた接吻。初めての輪郭に触れようとして、真水に浸していく。花は紅を点して、咲いていく。瞼を啓いていくひかり。
 祈りの唇は、やわらかく零れていく。

              二〇〇三年三月九日
ナカネコ!
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