檸檬

やったやった〜!!
おっかさん、僕はどうやらやりましたよ!!
司馬遼太郎か阿部公房じゃなくても、日本の作家さんの作品が読めましたぞ〜!!
これは大いなる第一歩。
いや、そりゃあそうなのですよ。
よく考えてみないでも、読めて当然な筈だったのですよね。
だって、外国の小説ったって
僕はどれも日本語訳で読んでいたわけですから。
ああ、これでまた読める本が大幅増量なのです。
困ったことにまたまたお楽しみが増えてしまった〜。


さてこの有名な檸檬なのですが
僕が手に取ったこちらは、短編集で、12のお話と2つの断片から成っております。
レモン柄で可愛らしい装丁。
中身は、ほぼ、肺結核です。
というと、暗く鬱鬱とした一冊なのかしらと誤解を与えてしまいそうですね。
不思議なのですが
穏やかで寧ろさらりとした読後感
だったように思います。


表題作、檸檬
僕の職場の近くに丸善があるので、妙に近距離感覚でした。


主人公が街を気だるげにぷらぷらぷらりながら
あれが好きだったりこれを美しく思ったり
八百屋の檸檬に言い得ぬ魅力を感じてつい買ってしまったり。
そして丸善の画集の棚の前で浮かんだ妙な企み。
この黄金に輝く爆弾を置いて去ること。
そうして大爆発を思い描きながら、主人公は街をゆく。


何ってこともないのにこの面白さは何でしょう。
僕は全くの健康野郎なのですが
主人公の、疲れたようなやりきれないようなじっとしていられないような
表し難い気分(感情やらでなくて気分)が
知らず知らず自分に乗り移ったんじゃないかってくらい
自然に読めてしまう。
自分の前をふらふら通り過ぎてゆくとある人を
曲がり角から次の曲がり角まで
なんとなく見守ったような感じ。


作者である梶井基次郎という御仁は
肺結核の為、31歳で亡くなられたそうです。
不謹慎を承知で言いますが
僕の最も理想とする死の体現者、です。
肺結核は今ではもう不治の病ではなくなってしまいましたが
その甘やかな陰鬱の香りは(僕にとっては)健在です。


萩原朔太郎の曰く
生きていれば、ドストエフスキーか或はポーのような大物になっていたのでは
とのこと。
実は僕はドストエフスキーもポーもまだ未読で、その辺はよく分からない。
ですけど
梶井本人が死ぬ前に
自分はまだ小説というものを書けてはいない、と発言していたことも含め
彼は本当に、死んでしまっては惜しい人間だったのだと思います。
彼が、小説というものを書けた、としたら
一体どんなものだったのでしょうか
とか僕は別に考えないですけど、でも
この人の書いたものはとてつもなく純度の高い、文学以外の何でもない
僕の大好きな文学そのものです。


城のある町にて
これは細かく章が分かれていて、一つを作り上げているもの。
三重県な匂いだ、くんかくんか、親しみ〜。
これ読んでると、僕は、何故か泣けてくるんですよ。
ちょっともちょっとも経験したことのない、っつ〜か生きてない時代の風景が
どうしてこんなに懐かしいのでしょう?!
古き良き時代の、愛しい日々よ。


よその子の泣き声が、死なせてしまった妹のそれに聞こえていた
って出来事も
歩きざま不意に石ころを蹴ってしまった〜くらいのさりげなさで過ぎてゆくのですが
良いなあ。


特に良いのが、勝子という幼女なのですが
となりのトトロのメイ然り
子供らしい子供って、可愛いものですね。
女の子特有の意地の張り方だとか、少しおませだったり、いじらしいのです。
言い間違えをからかわれて半べそになっている場面の微笑ましさといったら!!
やべっ、泣けてきたぜ・・・。


子供ってのはよく分からない遊びを楽しむ生き物です。
僕とても例外でなく
少々痛かったり傷ができる程度の遊びに夢中だった記憶は
薄ぼんやりとあれこれあります。
勝子も他の子と一緒にそうして遊んでいたのですが
それを眺める主人公の心の動きが
なんて真に迫っているのでしょう。
その短い章の終わりに、勝子が泣いているのですが
僕もなんだか酷く悲しくなってしまいました。
それは主人公の説明するような感情とは、多分同じではないにしても
それにしても悲しみに理由など必要でしょうか。
いや〜、無いね!!


小さな幸福や他愛ない残酷さが
日々の重なりに埋もれながら光を放っているとしたら
全てはあんまり優し過ぎるのかもしれませんね。
何はともあれ、ノスタルジー。


雪後
なんだろなあ・・・このささやかさは・・・。
若く慎ましやかな夫婦の和やかなやりとりに溢れる暖かさ
それこそが幸福の温度なのでしょう。
子を宿す身でありながら転倒してしまう嫁。
胎児に異状がないと分かるまで、夫に言えずにいた嫁。
話を聞き、今迄にないような怒り方をした夫。
嫁の腎臓の故障が気掛かりで不眠症になる夫。
日常の綻びが段々と広がってゆくようなのに
この眩しい日溜りを描くみたいな筆致はどうしたことでしょうか!!


Kの昇天ーあるいはKの溺死
そもそも、これが読みたくてこの短編集を手に取ったわけです。
というのも、とある書物にて、ごくごく簡単に紹介されていたのですが
僕の好きそうな雰囲気なんじゃないか〜??と、記憶に残ったのです。


実は、もっと曖昧でぼかされてて、文章自体が陽炎のようなもの
を、勝手に想像していたらしく
案外とくっきりした作品で、僕は意外に思ったのでした。


へ昇るには云々と喋り
哀れなるかな、イカルスが幾人も来ては落っこちる
という詩の一節を引用し
自分も何度やっても落っこちてしまうのだと笑ったK君
果たして、溺れて死んだのでしょうか
月へと昇りきれたのでしょうか。


語り手は、K君は遂に昇天を成功させたのだと確信しますが
イカルス(イカロス)然り
墜落にこそ浪漫の完成を夢見る僕としては
この件に関しては口を閉ざして、ただ微笑んでいるに限ると思います!!


桜の樹の下には
出だしでもう心奪われました。
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。

これだけで僕はもうすっかり、後の文章がどうであろうと良いような気がしてしまいました。
そして最後の文章も大変魅力的でありました。


冬の蝿
ああ面白い、糞っ、悔しくなるほどに面白いのであります!!
この冬の蝿の観察者めっ。
この者は太陽を憎んでいるのですが
結局は私を生かさないであろう太陽。
しかもうっとりとした生の幻影で私をだまそうとする太陽。
おお、私の太陽。

この辺りの文章は全く、僕をこそうっとりさせてくれました。
自らのきまぐれが、意図せずに、冬の蠅を一掃してしまったことから
自分を生かし、また殺すであろう見知らぬきまぐれを思う
そんな着地をするとは!!
恐るべし、梶井基次郎。


驚異の完成度は、何度も書き改め改め、の賜物のようです。
ふむ、僕ももちょっと真面目にならなきゃ〜。


にしても
日本の文学、良いですね。
これから色々読めるのかと思うと・・・
オラ、わくわくすっぞ!!


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